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今日のテーマは、「平成の志士となるために」です。
志士とは
志士とは志達ありて節操を守る士なり。節操を守る士は、困窮するは固より覚悟の前にて、早晩も飢餓して溝谷へ転死することを念ひて忘れず。(中略)此の志一たび立ちて、人に求むることなく世に願ふことなく、昂然として天地古今を一視すべし。
安政二年八月二十一日「講孟箚記」【訳】志士とは高い理想を持ち、信念を堅く守って変えない人物のことである。節操を守る人は、困り苦しむことなど、最初から覚悟していることであり、遅かれ早かれ飢えて溝や谷へ転げて死んでも良いとの覚悟を忘れないものである。(中略)このような志が一旦立てば、人に求めるものはなく、また、世の中に望むものもない。自負を持ち、意気を盛んにして、古今、天地を睨み据えることができる。
(『吉田松陰一日一言』P.25より)
昨日まで「志」というものについて書いていきました。
才能や努力について語る前に、なによりも「志」を立てることが大切です。
志が立てば、物事は才能を生かす方向へ、努力を続ける方向へと動いていきます。
ものすごく簡単に言ってしまえば、心の方向をどこに向けるのかによって吾々の進む道が変わってくるという話です。
そして、ここでいう「志」は心の方向を正しく定めたものと考えてもよいでしょう。
実に大事な考え方です。
さて、この志を立てた人を志士と呼ぶならば、今の時代ほど志士の必要なときはありません。
幕末や維新の志士たちよりも尚一層、「志」を立てなければいけないのが現代なのです。
地球温暖化、原発問題、領土問題等々。
世界がひとつの情報網でつながった現代社会は、江戸や明治よりも複雑かつ困難な問題に囲まれています。
今の日本はそれに気づかないほど平和ですが、このまま放っておいてよいものは一つもありません。
吾々が生きているときに志を立てて努力しなければ、未来世代の社会は実に厳しいものが待っているのです。
私はそのことを悲観的にとらえるつもりはないのですが、現状を知らなければ本当の世界をあらわすことができないと思っています。
私たちの中には本物が宿っていますから、世の中の現状を知れば「これはおかしい」と感じる人はたくさんいるはずです。
現状を知り、志を立て、本物の世界を顕していきたい。
100年後の社会がどうなっていくのかは、100年後を見据えた人がどれだけいるのかによって決まります。
100年後、またその先を見据えて行動する人が一人でも増えてほしい。
そう願って書いています。