もうすぐiPad Airの発売日がくる。
読者はiPad AirとiPad mini Retinaのどちらを買うか、もう決まっただろうか。
iPad Air、iPad mini Retina、どちらも魅力的なので、今すぐに手に入れるべき品であることは間違いないと思う。
タブレットを持っていないなら、これほどの買い時はないといっても過言ではない。iPad Airのスペックはそれくらい素晴らしく、その軽さは劇的な変化である。
筆者もいろいろ考えてiPad Airを購入しようと思ってはいるのだが、実はなんとなく躊躇している自分もいる。
「やっぱり、miniのretinaもいいな。」・・・とか、そういうところで迷っているのでもない。
躊躇するのはそれ以前の話で、タブレットをすでに持っている筆者としては「本当に必要か?」という疑問が生じてしまうのだ。
・・・iPad Air。
欲しいか、欲しくないかでいえば、たしかに欲しい。
・・・iPad mini retina。
役に立つか、役に立たないかでいえば、きっと役に立つだろう。
しかし、iPad AirもiPad miniも「本当に必要か、必要でないか」と問うてみると、本当に必要なものではないわけだ。
もちろん、iPad Airが必要だという理由を考えればいくらでも出てくる。
だが、その必要性の決め手になるようなものは、正直ない。
軽くなって持ち運びにはすごい便利になるだろうし、CPUも向上して操作性もアップしている。
それにもかかわらず、筆者が買わない選択を捨てきれない一番の理由は「消費で世界が救われない」という事実を知っているからである。
人類が本当に必要なもの以外のものを手に入れようとすればするほど、本当の幸せからは遠のいていってしまう。
簡単に言うと、現代は「金で便利さを買うこと」自体を控えなければならない時代なのだ。
そのことを冷静に考えれば考えるほど、これだけ欲しいiPad Airでも「買わない選択肢が一番良い」と筆者は思う。