皆さん、おはようございます。
本日もご訪問いただきまして、ありがとうございます。
さて、今日のテーマは「心と体の使い道について」です。
心は公なり
体は私なり、心は公なり。私を役して公に殉ふ者を大人と為し、公を役して私に殉ふ者を小人と為す。
安政三年四月十五日「七生説」【訳】身体は個人的なものである。心は公共のものである。私を使って、公に従う人を立派な人という。公を使って、個人的なことに従事させる人を、賎しい心の、つまらない人という。
(『吉田松陰一日一言』P.51より)
自分が世の中のことをどれだけ考えているか。
人々の幸せをどれだけ祈っているのか。
時々、立ち止まって考えておきたいところであります。
人は自分の利益ばかりを考えても幸せにはなれませんが、まわりのために働けば幸福感を得られるものです。
私欲を尽くしても残るものはありませんが、公のために尽くせば残るものは数多なのです。
そして、本当のことをいえば、この身さえも私のものというものはなく、生かされている公のものなのであります。
心も体も公に捧げ尽くしたときに見えてくる本物の世界、それは誰もが心を尽くせば見えてくる世界なのです。